No.013 いろはにほへとちりぬるをわか

みなさん、必ず一回は「いろはにほへと」を耳にしたことがあるはず。
ご存知だと思うが、「いろはにほへと」は今で言う「あいうえお」です。
知ってる方も多いと思いますが、「いろはにほへと」には続きがあります。

いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそ
つねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす ん(京)

これが「いろは」の48文字です。最後の「ん」は「京」ともされます。
大般涅槃経(たいはんねはんきょう)という仏典の第十四聖行品の偈(げ)に書かれている、
諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽
を和訳したものだといわれています。

弘法大師(空海)が「いろはにほへと」を作ったといわれていますが、
実はその死後の、平安中期に作られた歌です。

漢字では伊呂波歌、または色葉歌と書かれます。

さて、実はこれは、ひらがな全てを一字も重複せずに作った文なのです。
あなたは「あいうえお」から「わをん」までの語を一字も同じ字を使わずに文を作れますか?
きっと難しいことでしょう。しかし平安の人は次の文を作り上げました。
色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず
しっかりと、一字も重複していません。

この歌は、あの有名な「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎の作品でも関係しています。
ちなみに題名の「仮名手本」とは「いろは歌」のことを示しています。
まずは、登場人物の浅野長矩(ながのり)が吉良義央(きらよしなか)を傷つけたとして、
浅野長矩は、切腹しました。その仇(かたき)を討つために47人の武士が出ました。
ちょうど、いろは歌も47字で構成されています。
ちなみに武士の名は、
大石良雄・吉田忠左衛門・原惣右衛門・間瀬久太夫・小野寺十内
間喜兵衛・磯貝十郎左衛門・堀部弥兵衛・富森助右衛門・潮田又之丞
早水藤左衛門・赤埴源蔵・奥田孫太夫・矢田五郎右衛門・大石瀬左衛門
片岡源五右衛門・近松勘六・大石主税・堀部安兵衛・中村勘助
菅谷半之丞・木村岡右衛門・千馬三郎兵衛・岡野金右衛門・貝賀弥左衛門
大高源吾・不破数右衛門・岡島八十右衛門・吉田沢右衛門・武林唯七
倉橋伝助・村松喜兵衛・杉野十平次・勝田新左衛門・前原伊助
小野寺幸右衛門・間新六・間重次郎・奥田貞右衛門・矢頭右衛門七
村松三太夫・間瀬孫九郎・茅野和介・横川勘平・神崎与五郎
三村次郎左衛門・寺坂吉右衛門
(計47名)
読み方は自分で調べてください。。

そして、この47名は切腹することになります。
そのときの主張が「いろは歌」にはこめられています。
「いろは歌」を7字ずつに区切ると、

いろはにほへ
ちりぬるをわ

よたれそつね

らむうゐのお

やまけふこえ

あさきゆめみ

ゑひもせ

「とかなくてしす」
つまり、「咎(とが)無くて死す
ここには47名の無実の罪で死んだという主張が隠されています。

ちなみにこの話、室町時代という設定ですが、
これは実話で江戸時代に本当にあった話です。

忠臣蔵は正月とかになるとテレビでよくやるので、興味がある人は見てみましょう。

【▼2005年1月5日追加内容】

ningle氏が、「とりな歌」というものを教えてくださりました。

とりなくこゑす
ゆめさませ
みよあけわたる
ひんがしを
そらいろはえて
おきつべに
ほぶねむれゐぬ
もやのうち

この歌は、「いろは歌」が作られた平安時代から1000年以上あとの明治時代のことです。
新聞社・万朝報が「新しい『いろは』」ということで、この歌を作りました。
いろは歌同様に、一字も重複していません。

漢字にすると、
鳥鳴く声す 夢覚ませ 見よ明けわたる 東を 空色晴れて 沖つ辺に 帆船群れゐぬ 靄の中
となります。

それにしても、よくできていますね。

since 2003/6/22
2005/1/5 「とりな歌」追加
2006/1/15 えのきさんの指摘により訂正。 とりなくこ

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