No.030 苗字のルーツを探れ!
日本には1億3000万人もの人がいます。
日本人にはそれぞれ「苗字」がつけられています。
田中 太郎
という人が居たとします。
この「田中」が苗字です。
田中は、結構、ありがちな苗字です。
では、なぜ田中家はこんなに栄えたのか?
田中家の発祥は常陸国(茨城県)です。
家系は簡単にこんな感じです。
宇都宮宗綱−八田知家(三男)−田中知氏(七男)
宇都宮宗綱は平安時代の人です。あまり有名ではないといえるでしょう。
宗綱の曾孫(孫の孫)は、宇都宮頼綱です。頼綱の妻は北条時政の娘です。
知氏が、田中を名のった理由は地名にあります。
鎌倉時代初め、今の茨城県つくば市田中に田中庄とよばれる荘園がありました。
この荘園は、先祖代々、受け継がれて、知氏が守護をやることになりました。
知氏は、この田中という地名から、田中と名のりました。
この地名は、田んぼの中という意味で、そのころは田んぼがたくさんあったのでしょう。
弘安8年(1285年)11月17日、霜月騒動というクーデターにより田中氏は没落しました。
南北朝内乱に、南朝方に与した田中氏はついに滅亡してしまった。
約50年後、南北朝の乱により、南朝側(後醍醐天皇側)の田中氏は滅亡。
そして、南朝の残党の田中一族は、ばらばらになって生きのびました。
北は秋田県まで、南は福岡県まで、離散しました。
のちに、近江国栗太郡辻村(滋賀県栗東市辻)に定住しました。
江戸時代は、鋳物師として、全国進出しました。
その他、大和国高市郡田中(奈良県高市郡田中)や駿河国田中(静岡県賀茂郡河津町田中)が発祥の田中氏や、
他にも新田族の田中、佐々木族の田中などもいます。
なんたって、日本には300近くの「田中」っていう地名があるんですからね。
つづいて、堀内氏。
家系は、
清和天皇…源為義−堀内義家(三男)
もとは紀州熊野の豪族です。
和歌山県の佐野に住んだが長禄(1457年〜1460年)の頃に館を作りました。
今、そこは和歌山県新宮市千穂の全龍寺となっています。
館の回りに堀を設けて新宮城を建てました。その堀の周りにたくさんの砦を建てました。
この城構えから人々は「堀の内殿」といい、やがて堀内が名字になりました。
南北朝期のときは熊野水軍として南朝方に属しました。
戦国時代、信長に属し、二万石を与えられました。
慶長五年の関ヶ原の乱では石田三成の西軍に属しました。
のちに、家康によって領地は没収されました。
そして、豊臣秀頼に属し、大阪夏の陣で捕まりましたが、
堀内氏久が徳川秀頼の千姫を護衛したので、ギリギリ助かりました。
以後、藤堂氏に属しました。
なかなか、すごい家系ですな。
ちなみに、全龍寺の裏に「堀跡」が残っています。
新宮城の堀の跡です。
名字にはこんなルーツがあるなんて。さて、この名字シリーズは、また続編を作る予定です。
since 2003/8/10