No.031 続・苗字のルーツを探れ!

今回は、「池田」「長谷川」「万沢」のルーツを探ろうと思います。

まずは、池田。結構、多い苗字です。

家系はこんな感じ。
源頼光−頼国−頼綱−仲政−池田泰政(次男)

源泰政は頼光の曾孫(孫の子)。
しかし、一説には楠木正行の子孫という説もあります。
実は、池田氏はほとんどが不明。

「池田」の由来も曖昧です。
美濃国(岐阜県)池田庄。摂津国(大阪府)池田庄、尾張国(愛知県)春日部郡池田郷など諸説があります。

池田泰政からあとは、かなり不明です。
次に記録が残っているのは、戦国時代。
池田恒利です。恒利は織田信秀に属しました。

恒利の妻は、信長の乳母(母に代わって母乳を飲ませる人)でした。
つまり、恒利の子の池田信輝は信長の乳兄弟(同じ母乳を飲んだ人)です。
その後、信長が成長し、池田氏は手厚くもてなされました。
そして、池田氏は発展していきました。

ちなみに、一般的には池田信輝と呼ばれていますが、古文書などには信輝ではなく恒興と書かれています。
本能寺の変のあとは、信輝は秀吉に属しました。
賤ケ岳の戦いで勝利したあと、美濃の大垣の十三万石の土地をもらっています。
ところが長久手の戦いで信輝はやられました。

そして、次男の輝政が家系を継ぎました。
輝政は関ヶ原の戦いで徳川側の東軍に属しました。
その後、池田氏はあの有名な白鷺城と呼ばれている国宝の、姫路城を築きあげました。

 

つづいて、長谷川。結構、多い苗字です。
よく考えたら、特別な読み方ですね。

長谷とは「舟が泊(は)つ瀬」、川をさかのぼった舟の到着地のことです。
なので、「ながたに」ではなく、「泊瀬(はせ)」と読むのです。

そして、古墳時代、奈良県桜井市の初瀬(長谷)川の地を支配していた県主が、
川にちなんで、長谷川を名のりました。

他にも、大和(奈良県)の在原氏の家系、大和の藤原秀郷の家系。
摂津(大阪府)発祥では源氏の家系をもつ長谷川氏。
越中(富山県)発祥では、藤原利仁系の長谷川氏。
美濃(岐阜県)の発祥は橘氏系の流れがあります。

つまり、本家は大和発祥。
その他の、詳しい家系や歴史はわかりません。

 

つづいて、万沢。結構、レアな苗字です。
これも、詳しい発祥や家系はあまりわかりません。

鎌倉時代に甲斐国(山梨県)富沢町は福士氏と万沢氏に支配されていました。
福士氏の支配地の河村と、万沢氏の支配地の万村が合併し、現在の富沢町ができてます。

発祥は、山梨県だと思われます。
山梨には、

平沢、小沢、鳥沢、沢町、長沢、渋沢、白井沢、黒沢、柳沢、八ツ沢、白沢、山沢、
余沢、鴨沢、草鹿沢町、七沢町、蓬沢、蓬沢町、戸沢、沢登、鮎沢、荊沢、宮沢、湯沢、上芦沢、
福沢、亀沢、吉沢、下芦沢、下福沢、天狗沢、須沢、印沢、清沢、熊沢、三沢、葛籠沢、三ツ沢、
金沢、神沢、深沢、成沢、鰍沢町、長知沢、富沢町、万沢、遅沢、手打沢、寺沢、日向南沢、
夜子沢、塩沢、赤沢、上八木沢、下八木沢、光子沢、安寺沢、一古沢、浜沢、沢村、鳴沢、

たくさんの沢(湿地)だったところが地名として残っています。
こんなたくさんの沢があるので、万沢という苗字を名のったのでしょう。

since 2003/8/11

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