No.076 長い時間、短い時間
この世には、どんなに頑張っても避けられないものがあります。そう、時間です。
時間という目に見えない概念をとらえるために、
分、時間、週、日、月、年、世紀、ミリ秒、マイクロ秒、などのさまざまな単位がありますが、
全ての基本となっているのが「秒」です。
そもそも、1秒とはどれだけの長さなのでしょうか。
起源をたどると、メソポタミア文明にまでさかのぼります。
紀元前1900年頃、メソポタミア南部に古バビロニア王国が成立しました。
バビロニア人は、月を観測することで、
「月は新月から満月までが30日周期で、それを12回繰り返すと、1年経つ」ということに気付いたのです。
これが、太陰暦の発祥です。
この、「12回繰り返すと」の部分から、12進法という考え方が生まれました。
手の指が10本あることから、現在も使われているのが、10進法。
この10進法がよく使われていた世界において、12進法を便利に使えるようにするのは、なかなか難しい。
そこで、バビロニア人は、10と12の最小公倍数の60を基本とした、60進法も使いはじめたのです。
60は、1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30、60という、多くの数で割り切れる点でも、極めて便利なのです。
そして、バビロニア人は、12進法や60進法によって、次のような定義をしました。
1日=24時間=1440分=86400秒
この考え方は約3000年経った今でも、使われています。
のちに 、暦は太陽暦が主流となり、「1秒は平均太陽日の86400分の1」と定義されました。
しかし、近世になり、地球の自転周期は一定ではないということが判明。
人々は、常に一定である時間を探し求めたすえ、原子時計を発明し、
1967年の第13回国際度量衡総会において、次のような定義が決定されました。
1秒とは、セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の
遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍に等しい時間
よく分からないでしょうけど、せめて91億9263万1770って数字くらいは覚えて帰ってくださいw
短い時間の単位としては、ヨクト秒(ys)(=10-24秒)が、秒の分量単位の中では最小ですが、
実際に現代の科学で、計測することができるのは、100アト秒が最小です。 ※アト秒(as)=(10-18秒)
つまり、現在、計測することのできる最小の時間は、0.0000000000000001秒というわけです。
短い時間といえば、日本では、「一瞬」や「刹那」といった言葉が存在します。
これらの元となっているのは、仏典に書いてある時間の単位です。
まずは刹那について。『阿毘達磨倶舎論』(5世紀頃成立)によると、
牟呼栗多 | むこりった | 1/30日 | 2880秒 |
臘縛 | ろうばく | 1/30牟呼栗多 | 96秒 |
怛刹那 | たせつな | 1/60臘縛 | 1.6秒 |
刹那 | せつな | 1/120怛刹那 | 0.013秒 |
続いて、一瞬について。『摩訶僧祇律 巻十七』(408年頃成立)によると、
須臾 | しゅゆ | 1/30日 | 2880秒 |
羅予 | らよ | 1/20須臾 | 144秒 |
弾指 | たんじ | 1/20羅予 | 7.2秒 |
瞬 | しゅん | 1/20弾指 | 0.36秒 |
念 | ねん | 1/20瞬 | 0.018秒 |
仏典によっては、異なる分類がされている場合もありますが、
最もよく使われるのは、上にあげた分類です。
ちなみに、上記の単位はサンスクリット語の音訳です。(例:「牟呼栗多」は「murhutar」、「刹那」は「ksana」)
なお、「須臾」や「刹那」は塵劫記にも出てくるのですが、それは「命数法」であって、時間の単位とは別物です。
(参照:雑学見聞録No.016 命数法とSI接頭語)
さて、上の表から、刹那は0.013秒、一瞬は0.36秒であるということがわかります。
仏教において、「刹那生滅の道理」という概念が存在します。
これは、万物は刹那に生じて刹那に滅し、刹那に滅しては刹那に生じるという概念であり、
人の一生というものは刹那の出来事であると考えられています。(あくまでも仏教思想)
先に記述したとおり、現代科学では0.0000000000000001秒という極小時間を測定することができます。
人は、小さき世界を追い求めていった末、
仏教最小単位・刹那をはるかに超える短い時間を見つけだしたのです。
では、大きな時間についてはどうでしょうか。
仏教界で最大の単位は、「劫」です。
劫には、2種類あると考えられています。
磐石劫 | ばんじゃくこう | 3年に1度、天女が舞い降りて羽衣で、40里(約160km)立方の岩をなで、 岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間。 |
芥子劫 | けしこう | 40里(約160km)立方の箱に芥子を詰め、百年に一度、一粒取り出していき、 すべて取り出してしまうまでの時間。 |
一般に「劫」といえば、前者を指します。
この単位は、有名な落語『寿限無』の主人公・寿限無の本名にも出てきます。
寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
食う寝るところに住むところ やぶら小路のぶら小路 パイポパイポ
パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助
(参照:雑学見聞録No.028
寿限無の悲惨な人生)
これらの概念は極めて抽象的なものであり、ただ「長い時間」というものなのです。
しかし、ここではあえて数学的に考えてみます。
前者は考えづらいので、今回は後者の「芥子劫」についてのみ考えます。
芥子の実は球形であるのですが、便宜上、1mm四方と考えます。
つまり、1芥子劫=409,600,000,000,000,000,000,000,000年
ということです。
ちなみに、宇宙に年齢は約13,700,000,000年。
宇宙の年齢は、1芥子劫の3京分の1にしか及ばないのです。
そういえば、非常に長い時間がかかり面倒臭いことを「億劫」といいますよね。
これは、「100,000,000劫」であり、もはや面倒とかいう問題ではない、とてつもなく長い年数なのです。
人類は小さい単位では古来の思想に勝っていますが、大きい単位では足元にすら及びません。
自分たちより小さきものばかりを見つめてきた結果なのでしょうか。
since 2006/3/31
元ネタ提供:酸化タンタル氏
2006/4/8 酸化タンタル氏の指摘により訂正。
「40,960,0000,000,000,000,000,000,000年」 → 「409,600,000,000,000,000,000,000,000年」