一言雑学集

No.001〜100No.101〜200No.201〜300No.301〜400No.401〜500No.501〜

No.520 2012年2月22日

最初の自動ドアは2000年以上前に古代エジプトで作られた

補足1:紀元前2世紀頃にヘロンが神殿の自動ドアを製作した記録がある。
補足2:ヘロンが著した『気体装置』に自動ドアの図解が載っている。模式図はこちらこちらを参照。
補足3:神殿の参拝者が燭台に火をつけると、熱膨張した空気が燭台の下のタンク内の水を押し出す。そして、その水の重さで滑車を動かして、神殿のドアを開ける、というからくりである。
補足4:火の勢いが弱まると、空気が収縮して水が吸い込まれ、補足3と逆方向の運動が起き、神殿のドアは閉まる。
補足5:余談だが、任天堂の「ゼルダの伝説」シリーズでも、燭台に火を灯すと扉が開くというからくりがある。
No.519 2012年2月22日

最初の自動販売機は2000年以上前に古代エジプトで作られた

補足1:紀元前215年頃にアレキサンドリアの寺院に設置された聖水自動販売機が最初の自動販売機であると言われる。
補足2:投入された硬貨の重みで内部の受け皿が傾き、その傾きが元に戻るまで弁が開いて聖水が出てくるという仕組みである。ヘロンが著した『気体装置』に図解が残っている。
補足3:ヘロンまたはヘロンの師であるクテシビオスの作だと言われている。
補足4:日本初の自動販売機は、煙草などを売る自動販売機で、1888年に俵谷高七が開発した。現存はしていない。
補足5:現存する日本初の自動販売機は、1904年に俵谷高七が開発した「自動郵便切手葉書売下機」である。
補足6:日本初の普及型自動販売機は、1924年に中山小一郎が開発した「バラ菓子自動販売機」である。
補足7:1957年の「噴水型ジュース自動販売機」が自動販売機ブームの契機となった。
補足8:1967年に100円硬貨の原料が銀から白銅に変わり、大量流通が可能となり、自動販売機市場が急激に広がった。
補足9:現在の自動販売機の機能の多くは、1970年代から1980年代半ばに開発されたものである。
参考サイト:こちらのページ(一般社団法人日本自動販売機工業会)。ヘロンの『気体装置』の写真が掲載されている。
      「自動販売機の歴史」(特許庁)、「自動販売機の歴史と仕組み」(富士電機)
No.518 2012年2月22日

バングラデシュの国旗の日の丸は左に少しずれているが、
実は日本の国旗もかつては1%だけ左にずれていた。

補足1:バングラデシュの国旗は1972年1月17日に制定された。赤い円は昇る太陽を、緑色は豊かな大地を表す。
補足2:日の丸が左にずれているのは、掲揚して風になびいた際にバランス良く見えるため。(左が張り、右がなびく)
補足3:パラオ、スウェーデン、ポルトガル、スペイン、トルコなどの国旗も同様の理由で左にずれたデザインである。
    
補足4:日本の国旗のデザインは「郵船商船規則」(1870年2月27日公布)で定められていた。
補足5:この太政官布告により、日の丸が左に1%ずれたデザインが正しいと決められた。
補足5:日本の国旗の日の丸が左に1%ずれされた理由は、補足2と同様である。
補足6:国旗国歌法」(1999年8月13日公布)により、現在は、日本の国旗の日の丸を中央に描くのが正しい。
出典:『世界の国旗』(辻原康夫, 2000)
No.517 2012年2月22日

ネズミにかじられて漢字が変わった地名がある

補足1:その地名とは、滋賀県米原市にある「小田」(やないだ)である。難読地名としても知られている。
    旧山東町に属する人口214人(H17)の農村である。
補足2:元々は「梁田」(やないだ)という地名だったが、
    ネズミが文書をかじって「梁」の上側が欠落してしまったため、「小田」となった。(淡海漁夫の説による)
出典:『地名関係文献解題事典』(鏡味明克ら, 1981)、『近江坂田郡志』(滋賀県坂田郡教育会, 1975)
初出:「近江国小田の地名に就て」(淡海漁夫, 1903)
No.516 2009年12月7日

鉛筆を振ると鉛筆がグニャグニャ曲がって見える現象は「ラバーペンシル錯視」。

補足1:鉛筆の端を持ち、波打つように上下に振ると、鉛筆がゴムのようにグニャグニャと曲がって見える。
補足2:この現象は、認知心理学用語で「ラバーペンシル錯視」(Rubber Pencil Illusion)と呼ばれる。
補足3:実際に「曲がる鉛筆」が市販されている。木の代わりにゴムを用いており、非常に柔らかい芯が入っている。
補足4:「曲がる鉛筆」は、筆圧をかけると曲がってしまうため、筆記には適さない。
No.515 2009年12月7日

「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉の歌ではない。

補足1:松尾芭蕉といえば、紀行文『奥の細道』で知られる江戸前期の俳人である。
補足2:一方、松島といえば、宮城県松島湾にある260余りの島々の総称である。名勝地であり、日本三景に含まれる。
補足3:元禄2年5月9日(1689年新暦6月25日)、芭蕉は念願の松島に到着するが、感動のあまり、歌を詠まなかった。
補足4:実は「松島や ああ松島や 松島や」は江戸後期の狂歌師・田原坊が詠んだ俳句である。
補足5:「松島や ああ松島や 松島や」は季語を含んでおらず、無季語自由律俳句に分類される。
補足6:田原坊が詠んだ歌は、実際には「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」であった。
補足7:仙台藩の儒者・桜田欽齊が著した『松島図誌』にこの歌が掲載され、多くの人々に知られることとなった。
No.514 2009年12月7日

江戸時代の赤ちゃんは鉛毒を摂取していた。

補足1:鉛(lead)といえば、鉛蓄電池、銃弾、釣りのおもりなどに用いられる重金属である。
補足2:鉛には毒性があり、摂取し続けると、貧血、神経麻痺、脳性麻痺など様々な中毒症状を起こす。
補足3:江戸時代の乳母は顔から胸元にかけて白粉(おしろい)を塗っていた。
補足4:当時の白粉の顔料は「鉛白(えんぱく)」(2PbCO3Pb(OH)2)であり、中毒性がある。
補足5:江戸時代の赤ちゃんは母乳を飲むときに、白粉をなめてしまい、体内に鉛が蓄積されることがあった。
補足6:将軍家や公家などの上流階級の赤ちゃんで早死にが多いのは、鉛中毒の場合が多い。
補足7:13代将軍徳川家定は鉛中毒による脳性麻痺であったと言われる。尚、彼は5年間しか将軍職を務めていない。
補足8:現在、鉛白は油絵具に用いられている。また、近年はハンダや銃弾に鉛を用いない「無鉛化」が進んでいる。
出典:『徳川将軍家十五代のカルテ』(篠田達明, 2005)
No.513 2007年1月5日

童謡「クラリネットをこわしちゃった」のサビの「オ パキャマラド」という歌詞は、
フランス語で「みんな足並みをそろえて」という意味である。

補足1:童謡「クラリネットをこわしちゃった」と言えば、石井好子が翻訳したフランス童謡である。
補足2:全部で3番まであり、各番のサビに2回ずつ「オ パキャマラド」という歌詞が出てくる。
補足3:元となったフランス童謡は「私はドの音を無くした」(jai perdu le do)で、作詞作曲者不詳である。
補足4:「オ パキャラマド」は、フランス語の「Au pas camarades」に由来する。
補足5:「au」は、「cafe au lait」(カフェオレ)にも見られる単語で、英語で言うところの「with」である。
補足6:「pas」は、「歩み」「歩調」という意味の名詞である。
補足7:「camarade」は、「仲間」「友達」という意味の名詞である。
補足8:石井好子が、翻訳する際に、音感が面白いからという理由で、フランス語をそのまま活かした歌詞にした。
補足9:もともと行進曲であったため、「みんな足並みそろえて」という意味であると解釈されているが、他にも、
・父親が、クラリネットを鳴らすことができない子供に対して言った「一歩一歩進め、同士よ」という励ましの言葉
・子供が、壊れたクラリネットに対して言った「ちゃんと鳴ってくれ、クラリネットよ」という嘆願の言葉
など、様々な解釈がある。
No.512 2007年1月4日

山椒の辛味成分は、「サンショール」。

補足1:山椒とは、ミカン科サンショウ属の落葉低木で、縄文時代以前から香辛料として用いられている植物である。
補足2:山椒の主な辛味成分は、「サンショール」(sanshool)である。
補足3:サンショールは、分子内に4つの二重結合を含むアルキルアミド化合物である。
補足4:サンショールには局部麻酔作用があるため、山椒を食すると舌先が痺れて、辛さを感じる。
補足5:山椒はミカン科なので、香り成分は、シトロネラール、ジペンテン、フェランドレンなどである。
補足6:ちなみに、中国では、唐辛子の辛さを「辣」、山椒の辛さを「麻」で表す。
No.511 2007年1月3日

「落石注意」の道路標識は、
"落ちてくる石"に注意を促しているのではなく、"落ちている石"に注意を促している。

補足1:この道路標識(警戒標識)の正式名称は「落石のおそれあり」。
補足2:この標識は、山肌から「落ちてくる石」ではなく、「落ちている石」への衝突に注意を促す標識である。
補足3:また、石が落ちてくるような場所では「落石注意」ではなく、「落石頭上注意」という表示になる。
補足4:そもそも、石が落ちてくるような危険な場所は、通行止めになる。
情報提供:パーグ氏
No.510 2007年1月2日

世界一長い絵画の名前は、
「"ポップ、オップ、月並派、大いに結構"と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空が、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである」。

補足1:それは、スペインの画家であるサルバドール・ダリ(1904-1989)の作品である。
補足2:ダリの代表作は、「記憶の固執」、「パン籠」などである。
補足3:「"ポップ、(・・・中略・・・)はずである"」は、295×406cmの大作であり、最も長い絵画名だといわれる。
情報提供:不治氏
No.509 2007年1月1日

「100万ドルの夜景」という夜景の値段は、六甲山から見た神戸の電灯の電気代。

補足1:日本で最初に「100万ドルの夜景」という言葉が使われたのは、神戸。
補足2:昭和28年(1953)、当時の電力会社の副社長が「100万ドルの夜景」という言葉を使い始めたという。
補足3:当時、六甲山から見たときに見える電灯の数は約496万7千個で、その1ヶ月の電気代は約4億2900万円。
補足4:当時は固定相場制なので、1ドル=360円。
補足5:4億2900万円÷360円≒100万ドル(正確には119万ドル)。
補足6:しかし、時が進むにつれ、神戸の町は発展し、より明るい夜景となっていった。
補足7:そして、昭和50年(1975)、六甲摩耶鉄道の再計算によって、「1000万ドルの夜景」に値上げされた。
情報提供:さささ氏
No.508 2006年11月26日

カメラメーカー「キヤノン」の語源は、「観音」。

補足1:キヤノン株式会社といえば、1937年に設立された、国内で特に有名な、カメラ・事務機器メーカーである。
補足2:読みは「キャノン」だが、表記は「キヤノン」である。これは字のバランスを考えたためである。
補足3:前身となった精機光学工業の創業者の一人、吉田五郎は観音教を熱心に信仰していた。
補足4:
彼は、カメラの試作機に「KWANON」(カンノン)と命名した。もちろん、観音菩薩に由来する。
補足5:そのレンズには「KASYAPA」(カサパ)と命名している。これは、釈迦の弟子・迦葉(カサパ)に由来する。
補足6:1934年に、「KWANON」(カンノン)は、アサヒカメラ6月号に広告を出している。
補足7:しかし、1936年(1935年説もある)に試作機が製品化・販売された時点では、吉田の義弟の内田三郎により、「KWANON」は「CANON」という名称に改名されていた。改名の理由は、「高級カメラのイメージにふさわしくない」「世界中に親しまれるよう音読しやすいように」等である。
補足8:また、「canon」には「聖典」「規範」という意味もあり、これがブランド名となった。
補足9:カメラの改名をきっかけに、1947年、精機光学工業は「キヤノンカメラ株式会社」となった。
補足10:現在、キヤノンは公式には「観音由来説」を否定している。
補足11:その理由は、キヤノンは現在、仏教圏以外の全世界で活動をしているため、仏教概念である「観音」に由来するのでは、宗教などの都合上、活動しにくくなってしまうからだと言われている。
補足12:キヤノンが公式に発表している社名の由来は、「『canon』には『聖典』『規範』という意味がある」だけである。
No.507 2006年11月26日

トキの学名は、「ニッポニアニッポン」(Nipponia nippon)。

補足1:トキとは、コウノトリ目トキ科の鳥で、朱色の顔と脚、大きく下方に湾曲した黒いクチバシが特徴である。
補足2:日本産トキは、2003年10月10日の「キン」の死亡を最後として、絶滅した。現在は中国産のみが存在する。
補足3:1835年(天保6年)、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、 オランダにトキの標本を送る。そして、オランダ国立博物館館長であるクンラード・ヤコブ・テミンクが、「Ibis nippon」と命名。
補足4:
「Ibis」は英語で「トキ」を意味し、「nippon」は「日本」をローマ字表記したものである。
補足5:1853年(嘉永6年)、ドイツ人植物学者ハインリヒ・ゴットリープ・ルートヴィヒ・ライヘンバッハが「Nipponia属」(トキ属)を新設。
補足6:1871年(明治4年)、大英博物館動物学部門研究員ジョン・エドワード・グレイが、トキは1属1種であることを研究により確認し、「Ibis nippon」を「Nipponia」属に入れ、学名を改めて「Nipponia nippon」とした。
補足7:つまり、「ニッポニア」も「ニッポン」も、日本人ではなく、ドイツ人によって命名された学名なのである。
情報提供:不治氏
No.506 2006年11月26日

「人」という漢字は、「人と人とが支えあってできている」というのは間違い。

補足1:TBS・ドラマ『3年B組金八先生』で、主人公・坂本金八は、説教の際に、漢字の成り立ちの話をすることがある。その中でも、特に有名なフレーズが「人という字は人と人とが支え合ってできている」である。
補足2:この成り立ちは、理想的な人間社会のあり方を巧みに表現していて、非常に美しいものである。
補足3:しかし、人という字は、人間が一人で立っている姿からできた象形文字なのである。
     
補足4:
「入」という字も、金八先生流に見れば、「人と人とが支えあってできている」ということになってしまう。
補足5:「入」という字は、「入口の形」または「↑型に中へ入っていく様子」を描いた象形文字である。
No.505 2006年11月12日

江戸時代の人は、右手と右足、左手と左足を同時に出して歩いていた。

補足1:現代人は、右手を出すときは左足を、左手を出すときは右足を出し、足と反対側の腕を振って歩く。
補足2:しかし、江戸時代の人は、足と同じ側の腕を振って歩いていた。この歩き方を「なんば歩き」という。
補足3:「なんば歩き」と、大阪の「難波」は、特に関係ない。「南蛮人」の歩き方を嘲笑したのが語源と言われる。
補足4:
能、狂言、歌舞伎、相撲などの足運びは、今でも「なんば歩き」が使われている。
補足5:昔の人は和服を着ていたので、この歩き方をすると、体がねじれないため、着物の裾がはだけにくかった。
補足6:また、今の歩き方より、体の上下動が少なく、疲れにくい歩き方でもある。
補足7:2003年世界陸上男子200mで日本人初のメダルを獲得した末續慎吾も「なんば歩き」を採用していた。
補足8:武士は右手で刀を使う時、右足を出す。左足を出すと、刀を振り下ろした時に、自分の足が危ない。
補足9:江戸時代の農民も、鍬を使うとき、手と同じほうの足を出す。これらが「なんば歩き」の起源とも言われる。
補足10:江戸時代の浮世絵を見ると、人々が「なんば歩き」をしている様子が見られる。
補足11:佐川急便の飛脚も、「なんば歩き」(なんば走り)をしている。
補足12:そして、明治になり文明開化し、陸軍が西洋式の行進を導入したため、現在の歩き方が普及した。
情報提供:R-1氏
No.504 2006年11月12日

ドライブスルーは、馬でも行ける。

補足1:ドライブスルーといえば、ファーストフード店などで車両に乗ったまま注文できる方式である。
補足2:1977年にマクドナルド環八高井戸店が日本で初めてドライブスルーを導入したと一般に言われている。
補足3:だが、実は、その前年にローカルファーストフード店のフレンド喜多町店(新潟県長岡市)が先に導入している。
補足4:
道路交通法では、「車両」には「自動車」「原動機付自転車」「トロリーバス」「軽車両」が含まれている。
補足5:軽車両には、以下のものが分類される。
@自転車(三輪以上。しかし、小児用三輪車は含まない)
A荷車(大八車、リヤカー、屋台など、人が引くもの)
Bそり(馬車、牛車など動物によって引かれるもの)
C牛・馬・象などの動物
補足6:よって、馬は「軽車両」であるために、ドライブスルーで買い物をすることが可能である。
補足7:バイク、自転車、屋台、馬車、象など「車両」に分類されていたら、ドライブスルーが可能ではあるが、安全上の理由などから店舗側に断られることもある。
補足8:なお、トラック、クレーン車などは、高さ制限に引っかかる場合がある。
補足9:ノルウェーの運河にある「マクドボート」は、ボートに乗ったまま購入できるドライブスルーならぬ"ボートスルー"である。
情報提供:パーグ氏
2006/11/14 補足4訂正 トローリバス→トロリーバス (指摘:タモリ氏)
No.503 2006年11月12日

同じ漢字を何度も書いていたとき、
「あれ?こんな形だったっけ・・・」と思う現象の正式名称は、「ゲシュタルト崩壊」。

補足1:漢字練習などで同じ漢字を書き続けたり、同じ漢字を見続けると、違和感を感じることがある。
補足2:これは、漢字が「全体性を失って、個別のみを認識するようになる」ために起こる心理学的現象。
補足3:この現象のことをドイツ語の「gestalt」(形態)という単語を用いて、「ゲシュタルト崩壊」と呼ぶ。
補足4:
アルファベットのような字では起こりにくく、パーツの組み合わせで成る漢字が特に起こりやすい。
補足5:2005年元旦放送のフジテレビ系列「トリビアの泉」で紹介された、「ゲシュタルト崩壊しやすい漢字」TOP3は、1位「借」、2位「若」、3位「粉」。
補足6:漢字の中でも特に、単純なパーツの組み合わせで成るものほど、ゲシュタルト崩壊しやすい。
補足7:ひらがなでも、「た」など、ゲシュタルト崩壊しやすいものもある。
No.502 2006年11月3日

「この光景、前にも夢で見たことがあるような…」という感覚の正式名称は、「デジャヴ」。

補足1:一度も体験したことがないのに、既に体験しているように感じたり、過去に夢で見たように記憶錯誤することがある。この感覚のことを、エミール・ ブワラック(仏・超心理学者)が『超心理学の将来』で「Déjà vu」(デジャヴ)と命名した。
補足2:「デジャヴ」は日本では「既視感」と呼ばれる。
補足3:
デジャヴは、側頭葉部分の脳出血(側頭葉癲癇)の症状や、統合失調症発病の初期症状として著しく現れる。
補足4:しかし、そのような病気でなくとも、正常な人にもデジャヴは起こる。
補足5:ある調査結果によれば、70%以上の正常な人々がデジャヴを経験したことがあるという。
補足6:実際には初めての体験なのに、「前にもやったことがあるような…」と思うので、「物忘れ」とは違う。
補足7:実際に見ていなくとも、「前にも夢で見たことがあるような…」と思うので、「予知夢」とは違う。
補足8:ちなみに、デジャヴの逆で、見慣れている光景を初めてに感じる「ジャネヴ」(jamais vu)という感覚もある。
No.501 2006年11月3日

福引に使われる「ガラガラ」の正式名称は、「新井式廻轉抽籤器」。

補足1:「新井式廻轉抽籤器」(新井式回転抽選器)とは、六角形や八角形の木製の箱にハンドルがついた抽選器であり、回転させることによって中から小玉が飛び出てきて、その小玉の色によって賞品が贈呈されるというものである。
    

     (2005/12/10 滋賀県・某ショッピングセンターにて撮影)
補足2:一般に、関西では「ガラガラ」、関東では「ガラポン」と言われる。
補足3:これは、東京抽籤器研究所の専売特許であり、日本中に出回っている全ての新井式廻轉抽籤器を製造している。
補足4:
発明者は帽子屋を経営していた新井卓也氏。
補足5:客へのサービスとして抽選会を開こうと思ったとき、近くにあった多角形の帽子の箱を使用したのが始まり。
補足6:帽子の箱なら、四角や丸の箱もあっただろうが、六角形や八角形の箱の方が見た目や、音の印象が良かった。
補足7:そして、この抽選器の評判が良かったので、新井卓也氏は抽選器専門の店を設立した。
補足8:その会社が後の「東京抽籤器研究所」となったのだ。尚、現在の社長は新井卓也氏の孫にあたる。
補足9:ちなみに、東京抽籤器研究所では、正式名称ではなく、ほとんどの社員が「ガラポン」と呼んでいる。
補足10:新井式廻轉抽籤器の値段は数万円。安いものは1000円程度だが、高いものでは20万円するものもある。
補足11:なお、当籤したときに鳴らす鐘の名前は、「あたり鐘」という。値段は1万円程度。

No.001〜100No.101〜200No.201〜300No.301〜400No.401〜500No.501〜

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